「生まれた時からレッズ」の横浜FM広瀬、浦和からJ1初得点 古巣への感謝と父との物語
初ゴールにも複雑な心境 「生まれた時からお父さんがレッズの一員だったし…」
少しばかり複雑な感情を言葉にした広瀬だったが、スタンドに向かって右手を挙げた。そこには「お父さん、お母さんがいる場所は分かっていたので」という両親がいた。父からは、前日に「浦和戦だからといって気負わずいつもどおりのプレーを」とのメッセージを受け取っていたのだという。
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広瀬がトップ昇格を果たせなかった2014年当時の浦和は、前述の関根が鮮烈なデビューを飾ったシーズンだったが、リーグ優勝をあと1勝というところで逃したシーズンでもあった。当然のようにその陣容は実績のある選手たちで固まり、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の戦術が浸透した3シーズン目でもあった。広瀬がトップ昇格していたとしても、満足な出場機会を得られたとは考えにくい。悔しさもあったと話しているが、J2水戸から始まったキャリアは、プロの選択としては成功だったと言えるのではないだろうか。
J1でポジションをつかみ、初ゴールも決めた。それでも広瀬は「生まれた時からお父さんがレッズの一員だったし、生まれた時からレッズと関わりがあるなかで過ごしてきた。ユースからトップには上がれなかったけど、自分が今ここにいられるのは小さい時から浦和で過ごしてきたからだと思う」と、古巣への感謝の言葉も残している。
チームの中央で周囲をコントロールする“司令塔”だった父とはプレースタイルが異なる。それでも「自分が自分が、というよりは(天野)純くんとかマルコスとかが動きやすいように、自分が目立たずに黒子のような役割が今のところ上手くいっているのかな」と、自身の果たすべき役割は明確に理解している。
広瀬親子にとって、この2019年4月6日の埼玉スタジアムは、生涯忘れられない日になったのではないだろうか。そして、そのキャリアの切り拓き方もまた、強豪クラブ下部組織に所属する選手にとっての1つの形を確立するものになったと言えるはずだ。
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