落日の王国 清水初のJ2降格という悲劇を招いた歪んだチームマネジメント
後手を踏んだ監督交代劇
そうした近年の流れに追い打ちをかけたのが、後手を踏み続けた監督人事だ。2014年は前半戦から低迷し、すでにアフシン・ゴトビ監督が求心力を失っていながら、リーグ17節まで引っ張った。
「ゴトビの次は大榎」と噂されていたとおり、後任には清水ユースを率いていたクラブOBの大榎克己監督が就任。既定路線と言えた人事だが、目指すサッカーの方向性は前任者とは明らかに違った。規律で縛られたサッカーから、ボールを動かし次々と選手が前線に飛び出していくような攻撃的なサッカーへ。途中就任の昨季とは違い、キャンプからじっくりとチーム作りが行える今季は勝負の年だったが、序盤戦から攻守のバランスが崩れて下位に低迷した。
誰もが早期の監督交代を予感し、水面下で動いているとの情報も早い段階からあった。しかし、ファーストステージを勝ち点13の最下位で終えてもクラブは解任に踏み切らず、8月1日の大榎監督の辞任をもって監督が交代。もっとも後任に就いたのは、6月1日にJ2大分トリニータの監督を解任され、そのわずか1ヵ月後にコーチとして清水に招聘されていた田坂和昭氏。新指揮官にとっても選手にとっても、難しい状況であったのは想像に難くない。
日本でサッカーがまだアマチュアだった時代から、多くの日本代表選手を輩出し、清水商業高校(現清水桜が丘高校)や清水東高校といった名門が全国にその名を轟かせた、日本の「サッカー王国」。そのプライドが、1992年発足のJリーグ「オリジナル10」の一角を担うクラブを誕生させ、99年セカンドステージ優勝などの歴史を育んだ。
だが、近年の低迷ぶりは、そうした誇りや歴史に反して、あまりにもお粗末なものだったと言わざるを得ない。クラブの一貫しなかった強化の果てに、年間勝ち点わずか21、最下位でのJ2降格という最悪の結末は待っていた。
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サッカーマガジンゾーンウェブ編集部●文 text by Soccer Magazine ZONE web
ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images