堂安が背中を追い続けた“憧れの存在”宇佐美 1年9カ月の時を経て日本代表で“競演”
堂安はG大阪の先輩である宇佐美の不遇で海外挑戦を決意 「向こうに行って感じたい」
2016年6月25日、当時ガンバ大阪に所属していた日本代表MF宇佐美貴史がドイツのアウクスブルクに旅立つため、市立吹田スタジアム(現・パナソニックスタジアム吹田)で退団セレモニーが行われた。その時、18歳になったばかりの同MF堂安律は、ベンチからその姿を見守っていた。
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その1年後の同日となる17年6月25日、今度はフローニンゲンへ移籍する堂安のために退団セレモニーが行われることになった。その時のスピーチで「先輩である宇佐美貴史という存在が自分の中で大きく、憧れでした」と、クラブの先輩への想いを明かしている。
それから1年と9カ月が経過。日本代表選手として定着した堂安は、「一緒に宇佐美くんと同じピッチに立てればなっていうのは、勝手にイメージしていました」と、憧れの先輩と日本代表のユニフォームを着て同じピッチに立てることを楽しみにしている。
G大阪の下部組織で育った堂安は、常に先輩である宇佐美の背中を追い続けてきた。11年にはバイエルンへ移籍するため、一度はG大阪を離れた宇佐美だったが13年に復帰。このことで6歳年下の堂安は、宇佐美と一緒にプレーする機会に恵まれることになった。
15年に2種登録されトップチームに帯同することになった堂安は、“憧れの存在”である宇佐美とプレーをともにする。翌年は新設されたG大阪U-23でプレーすることが多かったが、宇佐美がG大阪を退団する試合ではベンチ入り。再び海外へ挑戦するために旅立つ先輩の姿を、目に焼きつけたという。
先輩の宇佐美がブンデスリーガで11試合437分しか出場できず不遇の時を過ごした翌年、U-20ワールドカップ(W杯)での活躍を経た堂安は海外挑戦を決意した。
「自分からすれば、なんであの人が出られないんだろうと思う、それくらいの存在。だからこそ、自分が向こうに行って感じたいという気持ちがあった」
退団セレモニー後に海外挑戦への思いを明かした堂安。憧れの宇佐美でも苦労するものとは――堂安は肌身を持って確かめるためにオランダへ渡った。