マンUは真の復活を遂げたのか? 元主将OBが訴え「サッカーを知る人間に決定権を」

ファーガソン監督(左)とベッカム(右)の間には溝ができてしまった【写真:Getty Images】
ファーガソン監督(左)とベッカム(右)の間には溝ができてしまった【写真:Getty Images】

モウリーニョ退任に見え隠れする、ポグバの資産価値を守る経営陣の思惑

 モイーズ監督は相次ぐスポンサーのお披露目会に駆り出されて、「ファーガソン監督もこんなに頻繁に出席したのか?」と広報官に尋ねたという。

 もちろん、ファーガソン監督はそんなコマーシャルな席に顔を出すことは滅多になかった。それどころか、明らかに距離を置いた。また、選手をなんとかしてマスコミから遠ざけようと腐心した。それは特定の選手に必要以上の関心が集まり、ただでさえ雑音が生じがちなビッグクラブの主力に、余計なプレッシャーをかけないためである。闘将にとって重要だったのは、サッカーの試合に勝つことだけだった。

 例えばデイビッド・ベッカムだ。精密機械のようなキック精度を誇り、しかも金髪美男子。そのベッカムがスヴェン=ゴラン・エリクソン政権下でイングランド代表主将になると、一気に世界的なサッカー・アイドルとなった。

 また世界的な女性ポップグループ『スパイス・ガールズ』のメンバーだったヴィクトリア・アダムスと結婚したことで、英国メディアから王室並みの注目を集めた。

 この予想外の人気が、ベッカムとファーガソン監督の間に溝を作った。この話を一部始終書くと、それだけで一つのコラムになってしまうので、ここでは割愛させていただくが、結果的にベッカムは2003年夏に愛するユナイテッドを離れ、レアルに移籍した。

 世界的アイドルの離脱だったが、サポーターはファーガソン監督の決断を100%支持した。ユナイテッドに栄光を取り戻した闘将に対する忠誠心は、微塵も揺るがなかったのである。

 しかし現在のユナイテッドなら、この決断はあり得ないのではないか。確かにポグバは、現在のユナイテッドの中ではクラブ史上最高額の移籍金を積んで獲得したスター選手である。しかし、当時のベッカムの実績、人気に比べると足もとにも及ばない。

 ところがクラブは監督と衝突を繰り返したポグバを残し、大監督であるモウリーニョのクビを切った。この決断には、120億円を費やしたポグバの資産価値を守ろうとする経営陣の思惑が見え隠れする。

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森 昌利

もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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