マンUは真の復活を遂げたのか? 元主将OBが訴え「サッカーを知る人間に決定権を」
マスコミ嫌いで有名な名将ファーガソンは“選手を守った”
じつはこれもファーガソン監督が築いた黄金時代の余禄と言えるのだが、20年の長きにわたりイングランド最強の座を欲しいままにしたユナイテッドの世界的な人気は絶大である。そのグローバルな人気にスポンサーが便乗する形で、一昨年の広告収入はなんと443億円という金額に達した。
通常フットボールクラブの収入は、(1)入場料、(2)テレビ放映権料、(3)スポンサー料の3部門に分かれるが、ユナイテッドの場合は広告収入が総売上の52%を占める。これは他クラブとの比較で突出した数字であり、他の追随を許さない金額だ。
もしも年商800億円を超える会社で、総売上の52%を稼ぐ部署があったら、その部署の発言権は社内で強くなるものなのか――答えは当然「イエス」だろう。
ネビルの発言を意訳すると、収入の半分以上を稼ぎ出すコマーシャル部門の発言権がクラブ内で強くなり、余分なスポンサー対応、またイメージ先行の体質が生まれ、チームを強くするという実質的な決断がしっかりできていないということではないか。
じつは筆者も、ネビルの意見に思い当たる記憶がある。
ドルトムントから移籍した香川真司を追いかけたおかげで、2012-13シーズンのファーガソン体制最終年と、その後にモイーズ、ファン・ハールと続いたユナイテッドの移行期を体験した。
FAユース杯を優勝した栄光の生え抜き軍団「クラス92」最後の戦士だったライアン・ギグスの引退をはじめ、選手の入れ替え、攻めだるまだったファーガソン監督の超攻撃的サッカーから、モイーズ監督の堅実に守って競り勝つサッカーに移行したのも無論大きな変化だったが、その陰でクラブのスポンサー対応も変わった。
それは一般の目に触れない、メディア相手の新スポンサー提携発表セレモニーに顕著に表れた。
ファーガソン監督時代は、スコットランドの闘将本人がマスコミ嫌いで有名だったため、ユナイテッドで選手に接触するのは至難の技だった。香川がユナイテッド移籍後2点目を決めたトットナム戦も、2-3でチームが負けたため本人の囲み取材はなし。またハットトリックを決めたノーリッジ戦後の囲みも、筆者ともう一人のたった二人の記者だけが接触を許されたのみ。しかも、わずか2分間のインタビューだった。
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森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。