韓国&豪州を死闘の末に連破! 若き日本代表がW杯半年後につかんだアジア杯制覇の栄冠
【アジアカップ“王者”の記憶|第4回】2011年カタール大会「死闘を経て大会中に成長、歓喜の4度目戴冠劇」
アルベルト・ザッケローニ監督にとって、2011年1月にカタールで開催されたアジアカップは非常に難しい条件下での参加となった。
10年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)で、岡田武史監督が指揮する日本代表はベスト16進出を果たすが、当時の日本サッカー協会(JFA)の原博実技術委員長は、主導権を握り支配するスタイルへの移行を示唆し、新監督にそれを託した。だが、アジアカップの開催がこの大会からW杯翌年の年明けに変更されたため、ザッケローニ監督は2度の親善試合をこなしただけで大会に臨むことになった。
グループリーグは苦戦が続いた。開幕のヨルダン戦は先制され、ようやくアディショナルタイムに追いついて1-1の引き分け。続くシリア戦もPKで先行されると同時に、GK川島永嗣が一発退場を宣告されてしまう。それでも10人で2-1と逆転に成功するが、この時点では優勝を見込めるような内容ではなかった。やっと3戦目でサウジアラビアに5-0で大勝し準々決勝に進むが、開催国カタールとのベスト4を懸けた戦いでも崖っぷちに立たされた。
開始12分に最も警戒していたウルグアイから帰化したFWセバスチャンに先制を許す。日本も本田圭佑のスルーパスで抜け出した岡崎慎司がループシュート。GKの頭越しに浮いたボールを、香川真司が詰めて追いつく。ところが後半に入り、大きなピンチに直面した。相手の突破をスライディングで止めた吉田麻也が、立ち上がる際に足をかけてしまい2枚目のイエローで退場。この反則で与えたFKを決められ、シリア戦に続き10人で1点を追う展開を強いられるのだ。
ただしこの試合では、ドルトムント新加入のシーズンで大ブレイクを遂げていた香川が絶好調。左足で同点ゴールを突き刺すと、終了間際には長谷部誠からの絶妙な長い縦パスを受けて突破。最終ラインから飛び出して来た伊野波雅彦が、こぼれ球を押し込みベスト4進出を決めた。
試合後の会見でザッケローニ監督は誇らしげだった。
「10人になっても勇気を持って攻撃に出たのが勝因。イタリアにも守備的ではない監督がいることを知ってもらえたと思う」
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加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。