“古豪”浦和南OB監督「自分が情けない」と涙 17年ぶり選手権で大敗「いつも1、2回戦…」

「僕たちが先生の要求に応えられず、中途半端だったから…」

 前任の浦和東ではワールドカップに2度出場したGK川島永嗣(ストラスブール)らを育て、高校選手権に5度、高校総体に7度出場し、無名で弱小だったチームを埼玉屈指の強豪に栄達させた。

 埼玉の公立校の教員としてはただ一人、日本サッカー協会公認のS級ライセンスを持つ名伯楽だが、「選手が頑張ってくれたのに、勝たせてあげられなかった自分が情けない。全国大会はいつも同じ光景ばかりだなあ。(浦和東時代を含め)いつも1、2回戦(で敗退)」と言って目頭を熱くし、とうとう涙がこぼれてきた。

 この言葉を知った主将のMF鹿又耕作は、「いや、僕たちが先生の要求に応えられず、中途半端だったから、そんなことを言わせてしまったんです。申し訳なく思う」と残念がった。今夏の高校総体予選までは1トップを務め、本大会から右サイドバックに転向したDF狩集洸哉が35分からFWに回った。「点を取りたかった」と悔しがった後、「浦和南だから満員になって、みんなが応援してくれた。伝統と歴史があるミナミで野崎先生に教わりたくて入学した。勝たせられなくて先生に申し訳ない」と言って涙ぐんだ。

「浦和東で初出場し、国見に負けた時は『なにやってんだよ』ってペットボトルが飛んできたが、今日は温かい拍手を送ってくれた。後輩たちが(名門復活へ)半分だけど、ドアを開けてくれました」

 野崎監督はこう言って、名門の完全復活を来年度以降のチームに託した。

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(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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