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「牽引車の轍~クラブリーダーのバイオグラフィー~」vol.1 西川圭史(ツエーゲン金沢・代表取締役GM) 「街づくり」と「人づくり」のために
愛する妻の故郷
「街づくり」の理想を目指して就いた仕事でしたが、社会経験を積む中で、街づくりには建物などのハード面も大事だけど、それ以上にソフト面、もっと言えば「人」が大事なんだと感じるようになりました。また大きな組織の中ではどうしても 自分の理想を追求するのが難しいと感じたことで、知人と2人で独立を決めました。「街づくり」と「人づくり」を両立させなければならない――。これは今でも私の中に根付く考えです。
前述したとおり、私は兵庫県神戸市の生まれですが、石川県は第二の故郷とも言える存在です。というのも、妻が石川県小松市の出身なんです。大学時代、私がアメフット部の選手、妻が学生トレーナーという関係で知り合い、1年の時に付き合い始めました。部内恋愛禁止だったので、こっそりと(笑)。在学中にも石川県に遊びに来ていたことがあり、豊かな自然に触れ、おいしい食材を食べて、すぐにこの地を好きになりました。銀行勤務時も自ら希望を出して金沢にあった北陸支店で勤務しましたし、独立した後も 、金沢と東京の2カ所を拠点として活動してきました。金沢の地で「街づくり」と「人づくり」に携わるようになったのは、ごく自然な流れだったと思います。
中学生のときにアメリカンフットボールの魅力にはまり、中学3年でアメフット部を立ち上げてから大学卒業まで、競技で言えばアメフット一筋でしたが、実は子供のころからサッカー大好き少年でした。もちろん、Jリーグにもハマりましたよ。確か高校2年時にJが開幕しましたが、当時神戸にはJクラブがなく、それでも「どこかを応援しないと楽しめない」と思って、ただ「赤が好き」という理由と、当時話題だったリネカー(元イングランド代表)がいるという理由で、名古屋グランパスエイトを応援 していました。毎月『月刊グラン』を買い、グランパスの真っ赤なTシャツを着て神戸の街を歩いていましたよ。