浦和一筋17年――DF平川忠亮が引退会見で告白 「あの瞬間のことは今でも…」
引退を意識し始めたのは「2年前くらいから」 1年目に出会ったオフト監督に感謝
浦和レッズ一筋で17年間のキャリアを積み重ねてきたDF平川忠亮が今季限りでの現役引退を発表し、28日のトレーニング後に記者会見を行った。2回の優勝を経験したAFCチャンピオンズリーグで使用されたボールも飾られたなか、そのキャリアでの思い出を言葉にした。
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「2年前くらいから出場機会も減り、パフォーマンスが落ちてきたのも実感して、意識するようになった」という引退を決断した平川は、2002年に筑波大学から浦和に入団。1年目は小学校時代からの友人である元日本代表MF小野伸二が浦和の1年目でつけた「28番」をつけ、2年目からは当時の小野がプレーしていたフェイエノールトでの「14番」に変更。引退についても相談してきた友人との絆を示す番号は、引退する今季まで一度も変わらなかった。
初年度には元日本代表DF坪井慶介も同期入団したが、「(当時のハンス・)オフト監督には、ツボと同じ生活リズムなのに、僕だけ怒られてね」と懐かしがった。それでも「サッカーの前に、サッカー選手として大切なことを教わった父のような存在。1年目にオフト監督と巡り会えたのは、非常にタイミングも良かったし、幸運だった」と今でも感謝の念を口にする。
その後、数多くの日本代表クラスの選手たちとポジションを争いながら、浦和では04年から4年連続でタイトルを獲得し、「その一員でいられたのが本当に幸せ」というキャリアだった。そのなかでも、07年にACLを制した際の準決勝、城南一和とのPK戦で5人目を務め、勝利を決めるキックを成功させたことを一番覚えているのだと話す。