日本代表監督・森保一の右腕、横内昭展とは何者か? 熱き情熱家の“二人三脚”の物語
広島に愛着が強く、小野・望月・ペトロヴィッチ・森保の下で15年にわたって働く
「ヨコさんは凄い熱量で、今の自分たちが何をしないといけないか、はっきりとさせてくれた」
中林が言うように、情熱と冷静の間で横内監督は戦った。「選手たちに言ったこと? 気合いです」と彼は言う。だが、本質はそうではなく、繊細かつ具体的な指示が出ていたことは選手たちの言葉が証明する。「このまま、ヨコさんに監督を続けてほしい」という選手たちも決して少なくなかった。だが、その時はもうヤン・ヨンソン(現・清水エスパルス監督)との契約が進んでおり、横内監督は1試合限りというクラブの方向性は変わらなかった。
ただ、もし「監督継続」を要請されたとして、横内昭展はオファーを受諾しただろうか。分からない。
彼には森保一との“鉄の結束”がある。森保は唯我独尊のタイプではなく、信頼しているスタッフに仕事を任せきることができる、言わば西郷隆盛型の指揮官だ。マツダからサンフレッチェと、ともに選手としての時間を過ごした1年先輩の横内の能力と、小野剛やミハイロ・ペトロヴィッチ(現・北海道コンサドーレ札幌監督)の下で9年にわたってコーチとして積み重ねてきた経験を森保はリスペクト。特に戦術面では絶対的な信頼を置き、試合中でも選手交代などは横内と言葉をかわしながら決めていた。
それほどに自分を信じてくれていた指揮官に殉じたいという思いは、横内の中に見え隠れしていた。新監督就任時、「ヨコさん、一緒にやりましょう」と言ってくれた後輩とともに――。そういう気持ちがあったとしても不思議ではない。だが一方で、東海大五高時代は全くの無名選手だった自分を発掘し、プロとして契約してくれた広島に愛着も強い。負傷のためJリーグでの出場は4試合、28歳で引退して指導者となった後も彼は広島で働いた。
スクールのコーチ時代にはFW平繁龍一(現・ザスパクサツ群馬)を発掘、ジュニアユース時代にはMF田坂祐介(現・川崎フロンターレ)を指導。兼務していたスカウトとしては、森﨑和幸・森﨑浩司・駒野友一(現・アビスパ福岡)という3人の宝を広島ユースに導いた。彼らが3年生になった時にはユースのコーチに就任。2003年にトップチームのコーチに就任以降、小野・望月・ペトロヴィッチ・森保と4人の指揮官の下で15年にわたって働いた。危機に陥ったクラブを助けたい。その気持ちと森保への思い、その狭間でゆれているのは、外から見ていても分かった。