川口能活が日本サッカーに残した最大の功績 時代を先取り確立した「攻撃的GK像」
今季限りで25年間のプロ生活に終止符、GKのイメージを変えたパイオニア的存在
J3のSC相模原に所属する元日本代表GK川口能活が、今季限りで現役生活にピリオドを打つことを発表した。1996年のアトランタ五輪でブラジル代表を破る「マイアミの奇跡」を演じた守護神は、43歳にしてそのキャリアを終える。川口は日本人GKとして、プレーでもパイオニアになった存在だった。
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川口の名前がサッカー界で脚光を浴びたのは、清水商業高校(当時)のキャプテンとして全国高校サッカー選手権を制した時だった。Jリーグ初年度となった1993年度の大会で、準決勝では後のチームメートになる元日本代表FW城彰二を擁する鹿児島実業高校を相手にPK勝ちし、決勝では国見高校を破った。そして、翌年から横浜マリノス(当時)に加入する。
そこに立ちはだかっていたのは「松永さんの存在が非常に大きくて、自分が将来、日本代表になるためには松永さんから吸収して、壁を越えないといけないという思いがありました」と話した、元日本代表GK松永成立の存在だった。
しかし、プロ2年目の95年に当時のホルヘ・ソラーリ監督の推し進めた若返り策もありレギュラーに定着。その後はアトランタ五輪から98年フランス・ワールドカップへと、日本代表GKとして認知されるようになっていった。
川口のプレーの特徴は、攻撃性だった。今ではGKがビルドアップに関わることや、最終ラインの背後に出たボールに飛び出して処理すること、高く浮き上がるボールではなく、ライナー性のボールで前線につなぐことなどは当たり前になった。しかし、これらのプレーは川口こそが日本のパイオニアだったと言える。本人が「コンプレックスがあった」と話す身長も、そうした能力を磨く要素だったのかもしれないが、ゴールマウスに構えてシュートを止める専門家というイメージを変えたのは川口だった。
そのことは、川口本人も引退会見でこのように話している。