恩師・城福浩が語る柿谷曜一朗の原風景(1) 「こいつ普通じゃないな」

エリート中のエリートとの出会い

 

 環境が人を育てる一方、環境に縛られることもある。その傾向が強いのが早熟の選手たち。全国を飛び回って集めた個性派集団の中にあって、エリート中のエリートと呼べる選手が一人いた。それが柿谷曜一朗だった。

 一言で言えば、図抜けた才能の持ち主。あるとき、城福が柿谷にサッカーをやっていてどんな瞬間が楽しいと思えるかを聞いたことがあった。「うーん」と間を置き、返ってきた十代の答えに、質問した当人は目を丸くした。

「ヘディングで競らなくても良いような浮き球が来たときですね。絶対にオレのボールになると思った瞬間が一番ワクワクします。何やってやろうかって考えることが楽しい」

 予想に反する思わぬ解答に驚き、感心した。「プロでもミスしたらどうしようと思うのに、こいつ普通じゃないな」。当時の代表で唯一プロ契約を結んでいたこの傑出した才をいかにチームに組み込むか。その点に、城福は心を砕いた。

 幼い頃からエリートの扱いを受けた選手は注目度も高い。だから片時も弱いところを見せられなくなってしまう。代表から帰れば、所属チームは赤絨毯を引いて迎えるのだ。突然のスター扱いに、本人も親も困惑してしまう。所属先で怒られる経験は減り、指導者は周りの選手に「こいつに渡せ」と指示するようになる。そこに多感な思春期が絡み、状況はさらに悪化する。一人で何人も抜いてシュートを決めれば、「やっぱりすごい」と歓声が上がる。だが、そのプレーができなかったときに落胆する父兄のため息も、心ない声もすべて耳にしてきた。

「だから不得手なことをやらずに、得意なことしかやらなくなる。そんな環境ではそうなっても仕方ない」

 自己防衛本能が働き、次第に鎧を身にまとうようになってしまうのは必然だ。

 柿谷はその最たる例だった。城福が彼と知り合った当時は、ガンバ大阪ユースが関西エリアの才能の宝庫として飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていた。その一局集中の図式の中、セレッソ大阪の下部組織に初めて金の卵が産まれた。それが柿谷だった。

「G大阪も当然、彼を放置しない。だからC大阪は、才能の流出を防ぐために赤絨毯を引いた。あいつがそれにあぐらをかいたと人は言うかもしれない。でも、その環境があったことが一番の弊害だと俺は思う」

 この傑出した才能との出会いを、「私も当時は彼を通じて多くのことを学ばせてもらった」と述懐する。城福の“イマドキ”との戦いが幕を開けた。

城福浩(じょうふく・ひろし)

1961321日生まれ、徳島県出身。早稲田大学卒業後、富士通に入社しサッカー部で選手、指導者として活躍。その後、ナショナルトレセンのコーチや、十代の世代別日本代表監督を歴任。2006年、U17日本代表監督としてアジア選手権優勝。08年からFC東京監督に就任し、09年ヤマザキナビスコカップを制覇。12年から甲府を率い、J2記録となる24戦無敗でJ1に昇格。13年からJ1で奮闘を続ける。

【了】

馬場 康平●文 text by Kohei Baba

 

※ワールドカップ期間中、サッカーマガジンゾーンウェブが記事内で扱うシーンやデータの一部はFIFAワールドカップ?公式動画配信サイト&アプリ『LEGENDS STADIUM』で確認できます。
詳しくは、「LEGENDS STADIUM 2014 – FIFAワールドカップ公式動画」まで

page1 page2 page3

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング