病との戦いさえなければ… “最高のチームプレーヤー”森﨑和幸が愛され続けた理由
常にリスペクトの対象となった「森﨑和幸=最高のチームプレーヤー」の方程式
かつて森﨑の恩師の一人であるミハイロ・ペトロヴィッチ(北海道コンサドーレ札幌監督)は「技術は衰えない。ディエゴ・マラドーナは走れなくなったから引退したのであって、技術はずっと世界一だ」と語ったことがある。慢性疲労症候群という病との闘いさえなければ、今季もずっと彼はレギュラーであっただろう。
「心身ともに、疲れました」という会見での言葉は、サッカーに対してではなく2003年から15年間、長期離脱を5度も繰り返さざるを得なかった難病との闘いに対してであり、松本泰志が瞳を輝かせたようにサッカーに対しては今も周りの憧憬の対象。ミハイロ・ペトロヴィッチが「ドクトル・カズ」と呼び、森保一(日本代表監督)が「ピッチ上の監督」と敬意を示したように、戦術面で広島を牽引し、広島や浦和でJリーグを席巻した可変システムを生み出し、指揮官や選手たちの絶大なる信頼を得て広島を3度の優勝に導いた。病気との闘いさえなれれば、もっと違う局面が彼を待っていたはずである。
2012年、森保一は彼がベストイレブンに選出されなかったことに激怒し、選出された髙萩洋次郎(FC東京)は「カズさんが選ばれるものだとばかり」と戸惑った。2013年、優秀選手にすら選ばれなかった現実に佐藤寿人(名古屋グランパス)は怒り、「選出方法を見直すべきだ」とまで言い切った。「ずっとカズさんに憧れていたし、カズさんに認めてもらいたい一心で、頑張ってきた」とは青山敏弘の言葉である。
たとえ日本代表に選ばれなくても、Jリーグベストイレブンに選出されなくても、森﨑和幸は最高級のマエストロ。そのマエストロが正しい評価を自然と受けるような時代になった時、日本サッカーは違うステージに立てるのかもしれない。2015年12月13日、クラブ・ワールドカップでアフリカ代表のTPマゼンベを相手に3-0と完勝した時、FIFAの評価チームは得点を決めた塩谷司や千葉和彦、浅野拓磨でもなく、2点に絡んだ茶島雄介でもなく、得点に絡んでいない森﨑和幸をマン・オブ・ザ・マッチに選出した。その時、彼はこんな言葉を残している。
「自分は何もしていない。ただ、今日はチームとして良い闘いができた。そこが評価されたと思っています」
どんな時も森﨑和幸は最高のチームプレーヤー。だからこそ、彼はリスペクトの対象となる。
(中野和也 / Kazuya Nakano)