元横浜Fジーニョの多才な“今” 日本での2年半に感謝「日々の小さな喜びを共有できた」

1994年アメリカW杯ではブラジル代表の一員として優勝に貢献【写真:Getty Images】
1994年アメリカW杯ではブラジル代表の一員として優勝に貢献【写真:Getty Images】

監督&フロント業を経てコメンテーターに…「サッカーのすべての価値を見落とさずに伝えたい」

「マイアミFCでは、大学を出てからサッカーに来た選手が多く、プロになるための準備ができていなかった。試合前日の深夜にも、夕食やアイスクリームを食べるために街へ出る選手たちに、自宅での過ごし方、コンディションの整え方、練習に献身する意味、そういうことを理解させるのが一番難しかった」

 そしてジーニョ自身も、初めての監督業に、多くの努力を重ねた。

「すごく勉強したよ。僕はプロとして21年間プレーしたんだ。フラメンゴの下部組織を合わせると30年間。その間、多くの監督たちから学んでいった。でも、自分が監督を務めるのは、また別物だ。世界中のサッカーを見たよ。各国のリーグや代表の試合から、何をどうやって、自分のチームに取り入れようかと考えながらね」

 ジーニョ自身「視野が広がった」と言う5年間のアメリカ生活を経て、帰国後はフラメンゴやサントスでエグゼクティブディレクターを歴任。その後は、元鹿島アントラーズの選手であり、監督も務めたジョルジーニョのアシスタントコーチとして、ヴァスコ・ダ・ガマを指導した。

 その合間に、ブラジルのテレビ数局でサッカー解説も経験。そして2017年からは、コメンテーターが本業となった。

 もともと真面目で丁寧、かつユーモアも交えた話術に長けていただけに、選手、監督、クラブ側とあらゆる目線を備えたコメンテーターぶりは、まさに天職。現在は「FOXスポーツ・ブラジル」で、試合中継はもちろん、サッカーのスタジオ番組にもレギュラー出演。彼の姿をテレビで見ない日はないほどだ。

「しっかり見て、分析して、率直に、かつ分かりやすく話そうとしているよ。ブラジルでは時々、マスコミが感情や情熱だけで発言してしまうんだ。例えば、守備を固めた試合運びを批判したり、ゴールやアシストした選手しか見なかったり。だから、すべての選手の重要性や、サッカーにおけるすべての価値を見落とさずに、伝えたいと思っているよ」

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藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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