ストラカンが今も讃える中村俊輔の“天才的”フリーキック 「まだまだ現役でいられる」

「あのフリーキックは健在か?」

 そんなストラカン氏だからこそ、思わず中村を「グッド・ボーイ」と呼んだのだろう。40歳という年齢まで現役を続けるためには、ストイックに全てをサッカーに捧げる「良い子」でなければいけない。第一線で活躍し続けるための自己管理の難しさ、そしてその節制の厳しさをかつての恩師は知り尽くしているのだ。

 中村が今も現役であることを喜んだストラカン氏は、もう一つ気になることを聞いてきた。「あのフリーキックは健在か?」と。

 あのフリーキック――それは英国人にとって、中村の代名詞のようなものだ。日本の天才レフティーが自慢の左足を振り抜き、大きく鋭い弧を描いて相手ゴールのトップコーナーに決まるフリーキック。その美しさは芸術的でさえある。そしてグラスゴーのセルティックサポーターが、“あのフリーキック”と口を揃える代表的なゴールが、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)の舞台で、ユナイテッド相手に決めた2発であることは間違いない。

 2006年9月13日のアウェー戦、あれは中村のCL本選デビュー戦でもあった。そこでまず華麗に一発。敵地オールド・トラッフォードで蹴ったフリーキックは、6人の壁の頭の上をスレスレで通過すると、当然というように、いとも簡単にゴールに突き刺さった。元オランダ代表GKの名手エドウィン・ファン・デル・サールが一歩も動けなかった。まさしく完璧なフリーキックだった。

 そして続く同年11月21日のホームゲームでも、まるで精密機械のような正確さで、ユナイテッドのゴールネットを揺さぶった。前回のフリーキックよりやや距離があり、今度はファン・デル・サールも反応したが、197センチの長身GKが必死に伸ばした左手の上を嘲笑うかのようにかすめて、ボールは右隅のトップコーナーに飛び込んだ。

 そんな見事なフリーキックの残像を頭の中で見ながら、「健在ですよ」と私は答えた。するとストラカン氏は満足そうに二度、三度と頷き、「あの技術はまさに天才的。ナカは体調管理さえ上手くできれば、まだまだ現役でいられるさ」と言った。

 2005年にセルティックの監督に就任。チームはそれまで前時代的な中盤省略のパワープレーに徹していたが、自らクラブに中村の獲得を進言し、この日本人レフティーを軸に据えることで、中盤で攻撃を構築するスタイルに変えた。

森 昌利

もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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