語り継がれるなでしこ伝説のワンプレー 歴史を動かした無垢な走り

磨き上げられた武器

 試合途中から起用される切り札的存在だった。選手であれば、先発で出場したいという思いは当然強い。しかし、丸山は、自分の役割に誇りを持っているという。
「途中から入って、試合を決める役割に、私は誇りを持っているし、ジョーカーと呼ばれることは全然嫌じゃないですよ。ノリさん(佐々木則夫監督)は、いつもサブの練習をよく見てくれていて、試合を決めるのはおまえたちだと声をかけ続けてくれた。延長に入る時も監督から『絶対決めてこい! おまえならできる』と声をかけられた。その期待にも応えたかったから」
 丸山はそう言って笑う。
「おまえならできる」
 監督からのこの信頼が、背中を押したのだろう。
 この大会前までの約1年9カ月、度重なるけがもあって、代表から遠ざかってきた。今度こそと臨んだ舞台だった。
 その丸山を選出した、佐々木監督はこう振り返る。
 「1年9カ月くらい代表に入っていなかった。その間、けがもあったりしてなかなかプレーを見ることができていなかった。メンバー選考のために訪れたリーグ戦を見て、彼女の変化を見ることができた。彼女にとってやはり大きかったのは、3・11でしょう」
 11年3月11日。東日本大震災が日本を襲った。丸山が当時所属していた、ジェフユナイテッド千葉レディースの練習場も被害を受け、練習場所を失ってしまった。
「練習ができない。だったら、走ろう…。そう思って毎日走っていました。おそらく毎日20キロくらい走ったかもね」
 一人黙々と走る日々。「きっと、いつか笑ってサッカーをする日が来る。その日のために…」。そんな思いを胸に一人、地道に一歩ずつの毎日を重ねた。
 佐々木監督は、そうした積み重ねに気づいていた。だからこそ、「お前ならできる」と、自信を持って彼女の背中を押せたのだろう。試合後、期待に応えた丸山を称賛した。
「リーグ再開後、メンバー選考のために視察に行ったリーグ戦で、走り込んでいたのが良かったのか、コンディションはすごく良かったし、試合の中ですごく走れていた。それまで彼女に欠けていた部分が補えていていいプレーをするようになっていた。精神的な部分と、持久力が確実についたと感じた。そうしてギリギリのところでW杯メンバーに入れることを決めた。一人で黙々と走っていたことが実って、あの延長戦での走りと、ゴールが生まれた。最後に素晴らしいキレを発揮してくれた」
 地道な走り込みによって培われた足腰が、一瞬のキレと、角度のないところからファーを射抜く踏ん張りを支えた。人知れず、磨かれた武器は、土壇場で発揮されたのだ。

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