閉塞感を打破した「気配り、目配り、心配り」 森保監督が引き出した日本人選手の長所
ロシアW杯後の日本サッカーが立証する“層の厚さ”
森保一監督が日本代表の指揮官に就任して、日本サッカーの展望が一変した。
2014年ブラジル・ワールドカップ(W杯)以降の4年間は、すっかり閉塞感に包まれていた。フル代表の低迷が最大の要因だったが、同時に突き上げる層の心細さも影を落としていた。それを象徴したのが、欧州組を除くメンバーで臨んだE-1選手権での惨敗だった。
ところがロシアW杯を終えてからの日本は、逆に層の厚さを立証している。東京五輪を見据え、2歳の年齢的ハンデを承知でアジア大会に臨んだU-21代表は、決勝進出を果たした。またW杯の主力組を除き、大舞台のチャンスを逸した若手と、好調なJリーガーで編成したフル代表は、希望に満ちた内容でコスタリカを一蹴した。
「気配り、目配り、心配り。それは日本人にしかありません」
そう話していたのは、オランダで指導者ライセンスを取得した林雅人氏である。
なるほど、そう考えれば森保監督の指導、采配は日本人ならではのものだったのかもしれない。アジア大会は、Jクラブからの招集にも1チーム一人などの制限があり、言い訳の材料には事欠かなかった。だがグループリーグ第3戦でベトナムに0-1で敗れると、日本代表としての矜持を刺激し、見事に立ち直らせている。
一方、フル代表のコスタリカ戦は、4年間の競争の始まりを告げる試合となったわけだが、敢えて年齢の枠を取り払い、対象者全員に競争の意識を促した。何よりラインを上げ攻撃の意識を高めることで、個々の持ち味を引き出した。
例えば、シント=トロイデンに移籍し、ボランチでプレーするようになった遠藤航を、ベテランの青山敏弘の隣でスタメン起用した。
もちろんボランチ起用は所属クラブが先だったが、能力は高くても代表では中途半端なバックアッパーに甘んじていた遠藤は、適役でプレーすることで代表の中核であることを十分に自覚し、パートナーからもしっかりと学習したはずだ。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。