ルカクの告白と「リバウンド・メンタリティー」 気持ちの強さは才能以上の財産

ロシアW杯では、日本代表の前に立ちはだかったベルギー代表FWルカク(右)【写真:Getty Images】
ロシアW杯では、日本代表の前に立ちはだかったベルギー代表FWルカク(右)【写真:Getty Images】

6歳で見つけた生きる道と、始まったプロ入りへの闘い

 ロシア・ワールドカップ(W杯)後に、スポーツ専門サイト「The Players’ Tribune」に出ていたロメル・ルカクのインタビューは衝撃的だった。

 ベルギー代表のエースストライカーがプロになると決意したのは6歳の時だったそうだ。母親がいつもの昼食(パンとミルク)を用意している時に、奇妙な行為に気づいた。水と牛乳を混ぜていたのだ。牛乳を買うお金が足りないため、水でかさ増ししていたという。それに気づいた瞬間、「パチンと指を鳴らされたように」少年ルカクは目を覚まし、自分の生きる道を見つけた。

 サッカーを観るのが楽しみだったのに、倹約のためにケーブルテレビの契約は真っ先に切られた。やがてテレビそのものが映らなくなり、電気のない部屋で夜を過ごした。UEFAチャンピオンズリーグもない、プレイステーションもない、電気もない……6歳のルカクはプロ選手だった父親に聞いた。

「プロになったのは何歳だった?」

 父親が16歳と答えると、ルカク少年は16歳でプロになり、アンデルレヒトで活躍し、この生活から抜け出すことを決意する。

それからはどの試合も「決勝戦」だった。幼稚園のサッカーも公園のゲームも、すべて全力で敵を叩き潰しにいった。少年期の遠征試合、同世代より大きなルカクの体格を見た相手チームの親たちからクレームがついた。本当に同年齢なのか? そもそもベルギー人なのか? ルカクは身分証明書をつきつけた。ルカクの父親は車を持っておらず、アウェーまで応援には来ていない。一人で大人たちに立ち向かわなければならなかった。そして、「こいつらのガキを殺す。潰す。お前らは泣いている子供を車に乗せて帰宅することになる」と心に決めたという。

 記事ではこの後もルカクの壮絶な告白が続くのだが、日本代表はよくこんな男とW杯で戦っていたものだと思った。

 ヨーロッパや南米には、ルカクと似た環境からのし上がった選手は少なくない。日本にもそういう選手はいる。少年期の逆境や屈辱をエネルギーに変え、サッカーにぶつけて上り詰めていく。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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