C・ロナウドが中田英寿と共闘していた!? 15年前の「幻のパルマ移籍」を伊紙回顧
2003年のマンU加入直前に存在していたパルマ移籍の可能性
今夏ユベントスに移籍したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドは、キャリア初上陸となるイタリアで旋風を巻き起こしているが、15年前に元日本代表MF中田英寿氏とチームメイトになっていたかもしれない。
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「CR7がパルマに?」との見出しで特集したのは、イタリア紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」だった。
2003年夏、加入3シーズン目を迎えていた中田氏が所属するパルマは、運命の転換期を迎えていた。
元ブラジル代表FWアドリアーノ、中田と3トップを形成していた元ルーマニア代表FWアドリアン・ムトゥを、チェルシーに2250万ユーロ(約29億円)で放出。その代役としてチームが獲得に動いたのが、当時スポルティングCPに所属していたロナウドだったという。
スポルティングは18歳の天才ドリブラーに移籍金1250万ユーロ(約16億円)を要求し、当時のステファノ・タンツィ会長は03年7月25日に1000万ユーロ(約13億円)で正式オファーを出した。
だが当時、パルマの命運を揺るがす大事件が起きる。親会社の乳製品大手パルマラット社が経営危機に陥った。タンツィ会長の父カリスト氏は、負債超過のためにロナウド獲得の動きをブロック。実現寸前のディールは8月6日に破談となった。ロナウドは10日にマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が発表された。
そこからロナウド伝説が華麗に幕を開けた。パルマラットが経営破綻していなければ、ロナウドはイタリアでキャリアを過ごしていたかもしれない。
(FOOTBALL ZONE編集部)
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