元ヴェルディ天才司令塔、なぜバルセロナでうどん職人に? 「食うために…」
現役時代、和製フリットの異名も「俺は才能ないからこそ、いろんなことをせな食っていけんなと思ってる」
「たぶん全然できてないと思うよ、普通の人から見れば。もっと苦労してる人っていっぱいいると思うわ。全然甘いと思うで。せやから、うどん屋も潰れてしまいそうや(笑)」
本人はそう言うが、全くのど素人が手探りでここまでやるには相当の努力を要したはずだ。もし選手時代に同じくらい努力をしていたら?、と聞くと、彼は「今頃、モナコで家買ってたな」と笑った後でこう言った。
「結局、俺は何にも才能ないからさ。才能あるやつっていうのはそこで一生食っていけるわけやん。俺は才能ないからこそ、いろんなことをせな食っていけんなと思ってるからさ」
高校選手権で脚光を浴び、ヴェルディ時代にサッカーバブルの絶頂期を謳歌した天才MFは今、40歳で初めて経験する飲食店の立ち仕事に疲労困憊する日々を送っている。それでも「勝ちたい。ていうか食っていきたい。移民やから。民族大移動やから。6人食わしていかなあかんからさ」と家族のために戦う親父の姿は、選手時代のそれよりずっとかっこよく、輝いて見える。とはいえ、昔から良くも悪くも規格外のプレーヤーだった彼は、既にうどん屋の先まで見据えているようだ。
「俺のほんまの、これっていうものにまだ当たってないんやろね、職業的に。飲食でもないかもね。何か他のもんが待ってるかもな」
◇石塚啓次(いしづか・けいじ)
1974年8月26日、京都府出身。大柄な体格ながら細かい技術を持ち合わせ、高校時代から「和製フリット」と呼ばれて注目を集める。卒業後はヴェルディ川崎に加入し、2年目にはJリーグのチャンピオンシップ優勝にレギュラーとして貢献。2003年に引退後、アパレルブランド「WACKOMARIA」を立ち上げる。退職後の12年にスペイン・バルセロナへ移住し、14年6月にうどん屋「YoI Yoi Gion 宵宵祇園」を開店。Jリーグ通算106試合15得点。
【了】
工藤拓●文 text by Taku Kudo
なかしまだいすけ●写真 photo by Daisuke Nakashima