西村判定の波紋 日本人主審のPK判定で浮き彫りになった、世界2大サッカー文化の激烈な相違点
ゴールマシンのあざ
ただし、英メディアがこれほど西村判定に反発するのはよく分かる。その理由は、ここまで読んでいただいた賢明なる読者の方々ならもうお分かりだと思うが、もしもこの判定が今回のW杯の基準となれば、イングランドにとっては非常に不利になるからだ。
この2月、当誌の取材で吉田麻也にインタビューをしたが、プレミアで覚えたことのひとつに「体の当て方」があるといった。
もちろんボールに向かっていなければならないが、競り合いでうまく体を当てて「相手のバランスを崩すことが大切」だといった。
豪脚でならした元イングランド代表FWアラン・シアラーは、試合後の控室でユニホームを脱ぐと、その体には無数のあざが浮かび上がっていたという。
そういった、あざだらけになる肉弾戦が常識で、体を張るサッカーの伝統があるイングランドにとって、あのブラジル戦でフレジが獲得したPKは悪夢以外のなにものでもない。
あくまでイングランドの常識からいえば、コバチ監督がいったように「あれがPKなら、今大会で100回はPKを見ることになる」という理屈になる。
セットプレーにおける自軍ペナルティー・ボックス内で“体を当てて相手のバランスを崩そうとするのは当然”という文化があるイングランドでは、ロブレンがフレッジの肩を軽くつかんで引いたあのプレーで、PKを取られることは、これは絶対といっていいほどない。
ユニホームを引っぱり、シュート体勢に入った選手を引きずり倒すとか、腰を抱き込むラグビータックルでもしない限り、PKはない。
もちろん、それはプレミアをはじめとするイングランドでの判定基準だから、フレッジの肩に手をかけたロブレンのプレーを、反則とするかしないかは、西村レフェリーの裁量内であるべきだ。