新生「森保ジャパン」戦術考察 “選手ありき”のチーム作り、重用されてきた人材は?
ミシャスタイルを残しつつ、守備と攻撃のバランス意識を整備
ただ、森保監督はこの形を盲目的に引き継いだわけではない。2012年の監督就任時、クラブからはペトロヴィッチ監督の戦い方を継続してほしいという要請はあった。だがそれはあくまで、自分たちで主体的に攻撃を作るというコンセプトの部分であり、フォーメーションなど具体的な戦術面は全て森保新監督に任されていた。そして分析の結果として、新指揮官は「一新」ではなく「修正」を選択したのである。
「新潟で分析を担当した時に広島のやり方を細かく見ていたのですが、ミシャ(ペトロヴィッチ監督)さんが作った守備ブロックは強固で崩すのは本当に難しいと実感していた。だからその形は残しつつ、どこでボールを奪うのか、その意識を植え付けようと思ったんです」
その方向性が広島に当時在籍していた選手たちにとって最適解だと判断したからこそ、「継承」という判断になった。森保監督はペトロヴィッチ監督時代よりも守備と攻撃のバランスを整え、ペトロヴィッチ監督時代には有効なストッパーの攻撃参加も右(森脇良太や塩谷司)と左(水本裕貴)とで意識を変えたことでブロックをさらに強固なものとした。
時に「引きこもり」などと揶揄されもしたが、堅守からの速攻・遅攻を織り交ぜた手法で三度の優勝を達成。特に2015年は、ボールを自分たちで持つ遅攻よりもボールを奪った瞬間に縦に速く攻める速攻を強化し、突破力のあるFWドウグラス(現・清水エスパルス)やFW浅野拓磨(現・ハノーファー)のブレイクを導いた。さらに髙萩が移籍した後のシャドーにMF柴﨑晃誠を抜擢し、キープ力のある彼に前線のコーディネート役を任せて攻撃のバリエーションを確保する。アイデアに満ちた2012年のスタイルから、相手の研究・分析を実感した後に新しいソリッドなスタイルを築き上げ、強力なチームを作って三度目の栄光を勝ち獲った。
広島でのやり方をそのまま代表に移植するかどうかは、分からない。森保監督は何度か、ブロックを作る守備と自分たちで主体的にボールを奪いにいく守備とを融合させ、より柔軟なシステムを構築しようと試行錯誤していた。広島では眩しいほどの栄光に包まれたがゆえに、チームとしてのベクトルが改革に向かいづらく、また選手たちの特性も「前からボールを奪いにいく」ことが適性ではなかった。