新生「森保ジャパン」戦術考察 “選手ありき”のチーム作り、重用されてきた人材は?

森保新監督(左端)は新生日本代表でどのような選手を軸に据えるのか。 (左から)柴崎岳、中島翔哉、久保建英、武藤嘉紀【写真:Getty Images】
森保新監督(左端)は新生日本代表でどのような選手を軸に据えるのか。 (左から)柴崎岳、中島翔哉、久保建英、武藤嘉紀【写真:Getty Images】

広島時代の代名詞3-4-2-1の基はペトロヴィッチ監督と森﨑和の“合作”

 日本サッカー協会は26日、日本代表監督にU-21代表を率いる森保一監督が就任することを発表した。2020年東京五輪監督との兼任で、22年のカタール・ワールドカップ(W杯)に向けて第一歩を踏み出す。

 J1サンフレッチェ広島で5年半指揮を執った森保監督の代名詞である「3-4-2-1」は、元々ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌)とMF森﨑和幸の“合作”とも言えるシステムで運用されていた。

 攻撃時にはボランチの森﨑が最終ラインに落ちて4バックを形成し、ストッパーがサイドバックの位置をとる。中央にはMF青山敏弘が一人残り、多くのボールが彼を経由して攻撃を構築するのだが、時に最終ラインに並んだDF千葉和彦や森﨑からのロングフィードやサイドチェンジなどのダイナミックな展開もある。

 前線には5枚の選手が並び、センターフォワード(CF)のFW佐藤寿人(現・名古屋グランパス)は裏を狙う。横にいるMF髙萩洋次郎(現・FC東京)や森﨑浩司(2016年に引退)が攻撃にアクセントをつけ、3人目の動きでゴールを陥れる。ウイングの位置に上がったワイドプレーヤーは守備になると最終ラインまで下がってスペースを埋め、攻撃では1対1を常に仕掛けて状況を打開する。

 この形の大筋は2008年、広島を指揮して3シーズン目を迎えていたペトロヴィッチ監督が構築したが、当初は攻撃時に4バック、守備時に5バックとなる可変システムは存在しなかった。当時リベロを務めていた元ブルガリア代表DFストヤノフに対して相手FWがマンマークするという事態になった時、森﨑がリベロをサポートするためにアドリブで1列下がったことが可変システム誕生のきっかけだ。この形によって、それまで不安定だった守備が激変し、カウンターへの対処能力が格段に上がってチーム力が増幅していった。

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