日本代表新監督「森保一」の“人間力” 孤独な世界を生き抜く3つの資質とは?
元日本代表FW久保竜彦を公私でサポート 「森保さんの言葉が、俺の全てでした」
「タツっ、目を覚ませっ」
後ろからの声に久保竜彦は思わず、ビクッとした。若くてまだ試合経験が浅かった頃、久保は集中力を持続することができなかった。ゲームに関われなくなり、ポジション取りが甘くなる。そういう時、後ろから必ず、大きな声が飛んだ。声の主は森保一だった。
のちに日本代表の攻撃を牽引する存在となる野生児は、プロ入りした頃はほとんど戦術的素養を身につけていなかった。それでも強烈な身体能力と誰も真似できないアイデアを武器に、試合出場のチャンスをつかむ。だが本人としてみれば、プロのピッチに立ってどう振る舞っていくべきか、分からない。どこに立っていればいいのかすら、分からない。そういう時、頼りにしたのは森保の声だった。
「タツ、もっと右に立て」
「タツ、今は我慢しろ」
「タツ、行けっ」
まさに、後ろの声は神の声。森保の言葉は、神様の啓示だった。
「森保さんの言葉が、俺の全てでした」
フィールド上のプレーだけでなく、ピッチを離れても久保は森保を頼った。家に招かれ、夕食もご馳走になった。プロとしての振る舞いも、考え方も、全てを偉大なる紫の7番に教わった。だから1998年、広島が財政難を理由に、日本代表での豊富な経験もあり「ミスター・サンフレッチェ」とサポーターや選手たちに慕われる男を京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に放出しようとした時、久保はフロントに対して「森保さんを広島に残してほしい。森保さんがいなくなったら、どうしていいか分からん」と訴えた。
彼の想いはサポーターも同様。森保残留を望むサポーターの声は日に日に大きくなり、事態を重視したフロントは急きょ、京都と交渉し「完全移籍」を「期限付き移籍」へと切り替えた。この事実がなければ、その後の広島の歴史も森保自身の運命も、大きく変わっていただろう。