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「結果を出しゃ いいんだろが!!」マリオ・バロテッリ
ビッグマウスもバロテッリの十八番だ。在籍当時のインテルとマンチェスター・Cには、イブラヒモビッチ(現パリSG)やテベス(現ユベントス)など世界的ストライカーが数多く揃っていた。しかし悪童は「俺より上手いやつはいない」と豪語。怖れを知らぬKYぶりで、しばしばチームメイトの反感も買った。 グラウンドでは、恵まれたフィジカルを生かして桁外れのシュートやアシストセンスを見せる一方、自制心に欠ける場面も多い。今季もナポリ戦での暴言で3試合の出場停止処分を受け、11月初旬までのシーズン通算警告数は10枚に及んだ。
「マリオの強烈な我の強さは、内に秘めた怒りからきていると思う。子供の頃から変わっていない」
5歳のマリオ少年をプロの世界にデビューさせた「ACルメッザーネ」(現3部)の育成部長エヅィオ・キネッリが、悪童について語る表情は複雑だ。ゴールへ向かうバロテッリの意識の根底には、彼が抱える複雑な出自と、それに伴うさまざまな不遇の過去がある。 ガーナ移民のバルウアー夫妻の間に生まれたマリオは、生後間もなく内臓疾患を患い、北部ブレシアのバロテッリ家へ養育信託に出された。マリオは無事に成長したが、貧困に苦しんだ実の両親を激しく憎んだ。「見捨てられた。絶対に許さない」と、今も彼らを他人扱いしている。 行政上の正式な養子縁組がされなかったため、一切の法的書類を持てなかったマリオはパスポートも作れなかった。実力があり、その名が知られていても、年代別イタリア代表への招集は不可能だった。18歳となり、イタリア市民権を取るまで、バロテッリは法治国家の枠組みからはみ出た存在だった。 人格形成する少年期に世の不条理を呪ったマリオは、行き場のないドロドロとした負のエネルギーを溜め込んだ。ルメッツァーネの練習でもチームメイトと衝突し、試合では人種差別的野次をさんざん受けた。 多感な十代の時期に積み重ねた憤怒が、ちょっとやそっとのプレッシャーでは動じない、過剰なまでの自意識をバロテッリの内に形作った。チャンピオンズリーグやEUROのような大舞台で、PKを平然と蹴り込む強心臓は、こうして生まれたのだ。 バロテッリ家の義兄弟や豪腕で知られる代理人ミノ・ライオラの影響によって、マリオの「俺がゴールを決めてやる」というエゴは膨れ上がった。古臭い慣例や序列をモノともしないアナーキーぶりと派手な私生活が、閉塞感に苦しむ同年代の若者たちの共感も集める。 バロテッリ自身はおそらく自分を悪童だとは露ほども思っていない。なぜ批判されるのか分かっていないし、それを理解しようともしないだろう。