【歴代W杯初戦の教訓】ブラジルで儚く散った「自分たちのサッカー」 調整失敗が招いた黄金期の終焉
2014年ブラジル大会・グループリーグ第1戦「日本 1-2 コートジボワール」
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【1998年フランス大会】 【2002年日韓大会】
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【2006年ドイツ大会】 【2010年南アフリカ大会】
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2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)で、日本代表は堅守を基盤にベスト16に進出したが、技術委員会は「このスタイルでは限界がある」と、主導権を握り攻撃的なスタイルを貫くためにイタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督を招聘した。そして間もなく日本サッカー界には、ジーコ時代に続く黄金期が到来する。南アフリカW杯の翌年1月にはアジアカップも制し、ドルトムントでブレイクした香川真司を筆頭に、トップレベルの選手たちは次々に欧州へ渡って行った。
14年ブラジル大会は、組み合わせ抽選も悪くはなかった。コロンビア、コートジボワール、ギリシャとFIFAランクでは格上ばかりだったが、日本もアウェーでフランスやベルギーを破る勝負強さを見せ、前年のコンフェデレーションズカップでもイタリアと3-4の接戦を演じるなど、ブラジル戦を除けば完敗はなかった。同じグループでFIFAランク最上位のコロンビアは8位だったが、エースのラダメル・ファルカオが故障で欠場。拮抗した4カ国が揃うだけに、コートジボワールとの初戦が大きく明暗を左右するのは確実だった。
だがビッグクラブで経験を積んできたイタリア人スタッフも、W杯は初体験だった。日本代表を発表し、鹿児島キャンプから米国遠征へと続くが、この間、坂道ダッシュから素走りまで徹底してフィジカルで追い込み、テストマッチも組み込まれた。またブラジルでのキャンプ地は移動が不便で、第1戦当日は雨に見舞われたレシフェは、高温多湿の劣悪なコンディションとなった。
「シーズン中だった国内組はともかく、シーズンを終えたばかりの欧州組は確実に疲労を蓄積したまま大会に入ってしまった」
そんな証言もあった。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。