【歴代W杯初戦の教訓】“割り切り”が生んだ史上初の白星発進 カメルーン撃破で得た追い風と確信
「一番強かった」難敵を下し、戦い方は定まった
日本は最後尾から「4-5」でブロックを形成し、カメルーンにボールを保持されながらも深い位置からカウンターの機会を探った。1トップには本田圭佑を抜擢し、両翼にはドリブルと走力に定評のある松井大輔、大久保嘉人を配し、二人とも攻守にエネルギッシュなパフォーマンスを継続した。
隙を見せずに耐える日本が最初にチャンスを得たのが前半39分、右サイドでボールを受けた松井が一度切り返して左でクロスを入れると、ボールは中央から飛び込む大久保の裏へと抜ける。フリーで受けた本田がニアサイドを抜き均衡が破れた。日本は最初のシュートを得点につなげたのだ。
後半はカメルーンが必死の反撃に出る。日本にとって最も怖い存在のサミュエル・エトーが、背中に張りつく大久保とカバーに入った駒野友一をかわし右サイドを攻略。フリーのマキシム・シュポ=モティングにラストパスを送るが、シュートは枠をかすめた。さらにステファン・エムビアのミドルシュートはポストを叩き、終了間際にはピエール・ウェボの決定機にGK川島永嗣が反応。ポゼッション、シュート数、決定機とすべてはカメルーンが上回った。
実際に日本代表チーム内では、グループリーグを振り返り「一番強かったのはカメルーン」の声が大勢を占めたという。それだけに難敵を下し、選手たちは確信を抱き、戦い方は定まった。逆に、もしカメルーンが順調に仕上がり日本が初戦を落としていたら、瓦解していた可能性もあった。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。