【歴代W杯初戦の教訓】日韓大会で開いた歴史の扉 ベルギーとの“肉弾戦”で得た勝ち点1の意味
2002年日韓大会・グループリーグ第1戦「日本 2-2 ベルギー」
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【1998年フランス大会】【2006年ドイツ大会】
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開催国特権で第1シードとなった2002年の日韓ワールドカップ(W杯)は、ベルギー、ロシアとの三つ巴の争いが予想された。最終戦で当たるチュニジアは、アフリカの代表権を獲得した後に、カズ(三浦知良)のジェノア時代の監督スコーリオが辞任。後任のアンリ・ミッシェルもすっかり求心力を失っており、日本がグループリーグを突破するには2戦目まで勝ち点を落とさず、ライバルにアドバンテージを与えないことが重要なテーマになった。
当然ベルギーにも同じ思惑があり、共通の最優先課題は負けないこと。埼玉スタジアムでの第1戦は、球際に一切の躊躇がない潰し合いが続いた。
ベルギーが日本のトップ下を務めた中田英寿やポストワークをこなす鈴木隆行に背後からでも激しくチャージすれば、日本も戸田和幸、稲本潤一の両ボランチはもちろん、左アウトサイドでプレーする小野伸二までもが何度も身体を投げ出した。随所にデュエルを繰り返し、縦へのロングフィードを急ぐ展開は、今振り返ればバヒド・ハリルホジッチ前監督の志向に似ていた。
浮き球が多く肉弾戦の様相を呈した試合で、ベルギーはマルク・ヴィルモッツのオーバーヘッドキックで均衡を破る。ここまで日本には決定機がなかっただけに、重苦しい空気が流れた。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。